”令和のフォークシンガーになりたい”
小学6年生の頃から、アコースティックギターは私の遊び相手だった。
当時、サッカー少女だった私にとって、日常から乖離した時間が ”アコギを弾いている時間”だったのかもしれない。
フォークソングとの出会いは高校生のとき。
定期テストの勉強中だった私の部屋に父親が入ってきて、吉田拓郎のベストアルバムを机の上にスッと置いた。
それからというもの、吉田拓郎をはじめ、かぐや姫や泉谷しげる、長渕剛、ニールヤングやボブディランなど、アコースティックギターで演奏するアーティストの楽曲を沢山聴くようになった。
高校までの通学時間は、殆ど音楽を聴く時間に費やしていた。
時には、友達と会わないように遠回りをしていたくらいだ。
音楽には、ルーツがある。
フォークソングを掘りはじめたら、ブルースやロック、カントリー、ジャズなど様々な音楽ジャンルに手を出すようになる。
私もそのひとりだった。
ロックといえば、RCサクセションを聴いて、「忌野清志郎に会いたい。けれど会えない。」ということに絶望的な悲しさを感じたのを今でも覚えている。
コロナ禍に入る前、私はエリック・クラプトンとKISSのライブに行った。
正直、ロックというものには目覚めたばかりで、心の中はフォークソングで染まっていたから、渋々、父親に連れられて行くかたちになった。
今となっては、そんな自分がバカだったなぁと思う。
ロックは、かっこよかった。
フォークソングとは違っていた。
特にKISSのライブは、演奏は勿論のこと、ライブ演出のとてつもない迫力なんかは、平凡高校生の私にとっては、物凄く刺激的だった。
そして、子供を連れた父親たちが、我が子の存在をも忘れて、少年のような眼差しでそのステージを見ていたのも印象的だった。
ロックという青春が心に刻まれている人たちが、沢山いるのだろう。そんな風に思った。
高校卒業後、経済学部に入り、勉強漬けの毎日を送っていた。
そんな中で音楽活動をしないかと誘ってくれた人がいた。
私の音楽活動の始まりは、そこからだ。
最初は、SNSで好きな楽曲のカバーを発信したり、アコースティックライブをしたりした。
途中で、エレキギターを持って歌いたいという願望が強くなり、若手ミュージシャンを集めてライブをやってみたりもした。
私は音楽が好きだ。
どんな音楽も。
それが故に、どんな音楽をやりたいのか分からなくなることはしょっちゅうだし、慣れっこになってしまった。
しかし、そんな私がこの頃強く思うのは”令和のフォークシンガーになりたい”ということだ。
フォークソングの定義は難しい。
ただ、私は10代に出会ったアコースティックギターという遊び道具を使って、歌を歌うという日常を、”いま”送っている。(それも簡単なコードばかりで。)
その根本的な感覚が、身体から離れることはなく、”ここ”にあり続けている。
もちろん今でもロックは好きだし、時にはヒップホップばかり聞いてしまうような日さえある。でもふと気がつくとフォークを聞き、フォークを作り、フォークを歌ってしまう自分がそこにいる。自分にとってフォークソングは「ルーツ」なのだ。
だから、私は”令和のフォークシンガーになりたい”。
つまり、「言葉が持つ力を音ににのせて、表現したい」みたいなことなのだが、そんなことを綴ったところで、フォークシンガーになりたいという志が全て伝わるわけなどない。
ここで、まず「よりそい屋さん」という曲を聴いて欲しい。
70年代のサウンドが全面に出ていながら、令和における”コロナ禍”という危機的状況に感じていた、純粋な気持ちを歌っている。
『よりそい屋さん』
そして、ライブに足を運んでいただけたら、とても嬉しい。
私は、”令和における新たなフォークシーンを創り出せる”。
そんな気がしている。
この気持ちがどこかの誰かに伝わったらいいな、と思う。
という文章を、今、狭い布団の中で書き終えた。